最高裁判所第一小法廷 昭和43年(行ツ)66号 判決 1972年7月20日
上告人 岡林清英
被上告人 国
訴訟代理人 香川保一 ほか四名
主文
原判決を破棄する。
本件控訴を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人石井勗の上告理由第一点について。
所論は、要するに、原判決(附加、訂正のうえ引用する第一審判決を含む。以下同じ。)が判示支給準則に基づく退職手当の支給を違法と判断したにもかかわらず、上告人の本訴請求を棄却すべきものとしたのは、右支給準則一条二項本文に違反する旨主張する。
よつて考えるに、原判決によれば、上告人に対する第一次退職手当金の支給は、判示支給準則一条二項本文に違反し、支給すべきでないにかかわらずなされた支給であるというのである。ところで、上告人の第二次退職当時施行されていた判示国家公務員等退職手当法附則(以下法附則という。)一〇項の規定の立法趣旨は、判示同法施行令附則(以下令附則という。)一四ないし一六項の規定等をも勘案すれば、中途退職者が、当時の法令上退職手当の支給を受けうる場合であつたため手当の支給を受けたが、その結果、最終退職の際新旧両庁の在職期間が通算されず、通算される者との間に著しい不均衡が生ずるため、これを是正するにあると解せられる。そうであれば、本件上告人の場合のように支給準則上支給すべきでないにかかわらず誤つて退職手当が支給されたときは、法附則一〇項の適用はないものと解すべきであり、このことは支給準則に基づく退職手当の支給について原判示のような処分があると解すべきかどうかにはかかわりがないものというべきである。故に、上告人の第二次退職にあたり前記法附則の規定の適用があるとする原判決の判断には、右規定の解釈を誤つた違法があるものというべく、この点の論旨は結局理由あるに帰し、原判決は、その余の論旨について判断するまでもなく、破棄を免れない。
そして、前記のように法附則一〇項、令附則一四ないし一六項を適用すべきでないとすれば、上告人の第二次退職にあたり支給さるべき退職手当額は、原判示の国家公務員等退職手当法附則四項、国会職員法八条、官吏としての在職年を国会職員としての在職年とみなすことに関する規程三条、右退職手当法五、六、七条および当事者間に争いのない上告人の在職期間、第二次退職時の給与月額等からして、六五七万六〇〇〇円となり、上告人は第二次退職の際三一八万三八八〇円の退職手当の支給を受けているから、その差額三三九万二一二〇円の支払を求める権利があることは明らかであり、したがつて、右差額の一部である金一〇万円およびこれに対する第二次退職の翌日である昭和三七年四月一日から完済にいたるまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める上告人の本訴請求は認容すべきものである。故に第一審判決の結論は正当であり、結局、被上告人の控訴は棄却さるべきである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、二九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)
上告理由
第一点控訴裁判所は、本件に関し判決に影響を及ぼすこと明らかな退官、退職手当支給準則(昭和二十二年三月二十九日給発四七五号、翌年二回改正)昭和二十二年法第一二一号により、法律と同一の効力を附与せられたもの)第一条第二項本文に違背した裁判をした。即ち同判決は法令違反である。
即ち、同項は「退官、退職手当は、職員がその資格又は勤務庁を変更した場合であつても、引続き在職(退職の日又はその翌日再就職した場合を含む)するときは、これを支給しない。」と規定しており、二審判決は、上告人が会計検査院を二十三年十一月二十七日退職、即日衆議院に就職した際に、会計検査院が同人に退職手当金を支給した事実につき、(一)支給準則違反の違法行為なりと断じ、(二)その行為は行政行為として重大な瑕疵であることを認めつつ、(三)その瑕疵は明白でないと認定して、この強行法規違反の行為を許容し、有効な行政行為と判決し、被控訴人(上告人)の請求を棄却した。以下その違法性の理由を記す。
(その一) 瑕疵の明白性について
(イ)川上告人の会計検査院退職と、衆議院へ就任とが同日であつたこと、(ロ)当時の退職手当支給に関する根拠法規が前記支給準則であつたこと、(ハ)同支給準則第一条第二項本文に「不支給」が規定せられており、しかも極めて明快に「支給しない」と、選択の余地もなく、断言していることは、一、二審の両判決も認めているところである。しかして二審判決は、第一六枚表において、「右の解釈問題は、支給準則第一条第一項にいう『官吏』及び同条第二項にいう『勤務庁を変更した場合』なる概念の意義を、公務員退職法制の目的に照らし、かつ、旧憲法下の官吏制度の現行憲法による変容という事情をも考慮して確定する判断作業を必要とするもので(中略)あり、右解釈問題がしかく簡単ではないことに鑑みれば、(中略)会計検査院の判断の誤りがなんびとの判断によりてもほぼ同一の結論に到達しうる程度に明らかであるとは到底云いえない。(中略)退職手当支給の瑕疵は明白性の要件を欠くから、該処分は無効ではない」と説示している。即ちこの判決と上告人の見解の差異点は、要するに、「明白性の解釈の相異」である。しかしてこの明白性の窮極の判定基準は、一般的には説明困難であり、具体的事件について具体的に判断する外ないと云われていることは学説判例に共通するところであろう。(田中二郎著行政法上巻一八〇頁、最高裁三十四年九月二十二日第三小判決、民集一三巻一一号一四二六頁参照)また、最高裁三十六年三月七日第三小判決は、「瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に誤認が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきもの」と述べている。
そこで本件を具体的に検討するに、判決は本件が新旧両憲法の過渡期に渉り、退職法制が大きく変遷した時代であつたから、法文の解釈が決して簡単でなかつたと判示している。そしてこれは正にそうであつたことを上告人も認める。然し
(一) 右法規の複雑性は、根拠法規を判別発見する上において、複雑であるというにすぎない。しかも、それは「行政庁がその職務の誠実な遂行として当然に要求せられる程度の調査」 (東地裁昭和三十六年二月二十一日判決参照)をなせば、当然に判別しうる複雑さである。現にその頃外務省、法務省、文部省等においては、同様の事項を正確に処理(昭和二十二年八月十六日衆議院専門調査員就任の佐藤敏人氏、昭和二十三年十月十五日参議院法制局長就任の奥野健一民、昭和二十五年五月十八日衆議院専門員就任の石井勗等につき一審で上告人から提出した準備書面参照)している。通常の誠意をもつて遂次法規の変遷を調査すれば、当然に判別発見出来た筈である。
(二) 会計検査院においても、昭和二十九年十月十九日同院第一局長を退職し、翌日参議院専門員に就任した池田修蔵氏、昭和三十七年三月三十一日同院事務総長を退職し、翌日衆議院専門員に就任した大沢実氏に対しては、従来の態度を改めて退職手当を支給していない。要するに、会計検査院は一時的に通常程度の誠実な調査を怠り、もつて退職法制の解釈を誤つたものと認められる。
(三) 前述の如く退職法制の変遷が複雑であつたことは認めるが、他の多くの行政庁においては、検査院と同様の誤を犯していない程度の複雑度である。「誤りを犯し易い」ということは、誤り即ち、瑕疵の原因の可能性の大きいことを意味するものであつて、それは誤り、瑕疵という事実と明白性を欠くこととは、全然別個の事項である。誤り易い条件を経過しつつも、前記外務、法務、文部省等は蝦疵を作らなかつた。会計検査院は不幸にして暇疵を犯した。そしてそれは支給準則第一条第二項本文違反一具体的に云えば、法規には「支給しない」と明記してあるのに、会計検査院は「支給した」のであつて、極めて明白な瑕疵である。
(四) 会計検査院の人事担当官が退職法規の解釈、適用を誤ったことは、他の省庁の人事担当官の場合に比して、その責任は一層大である。退職手当に関する事項は、云うまでもなく会計自体の一部分である。仮りに他の省庁の人事担当官の解釈、適用に誤りがあつた場合、これに注意な喚起し、救済の道を講ずるのが会計検査院の責務である。退職手当については、地の省庁の人事担当官以上に、誠意ある調査をし、この種の場合には正確な「不支給」の処分をすべきであろう。他の省庁の容易になし得たところの、而も会計事務の一部であるところの退職手当の問題を検査院が誤認し処理した本件の瑕疵は、極めて重大かつ明白である。
なお、前記第三小判決に云うところの「一見看取」の主体は、人事担当官一般の意味であり、この種の人であれば一見看取し得る程度に明らかであればよい筈である。市井無学の門外漢にも一見看取し得ることを期待するものではない。会計検査院の人事担当官には、退職手当について、他省庁の人事担当官に勝る程度の法知識が期待される筈であるが、本件は、他省庁の一般人事担当官ですら、一見看取しえた程度の外形上にも客観的にも極めて明白な誤認、瑕疵である。
(その二) 行政行為の公定力について
行政行為の公定力の理論は、果して本件の如き退職金支給の問題にも適用されるべきであろうか。社会国家において、その法的安定を考慮することは勿論意義あることである。然し、それはどこまでも個人の権益と国家を構成する社会一般人の利益とを比較考量して、社会一般の多数人の迷惑を防ぐに必要な限度においてのみ、法的安定を尊重すべきである。特定個人の権益を犠牲にすることは、公共の福祉又は多数の一般人の利益を救済する上において、他に方法のない真にやむを得ない場合にのみ限定さるべきである。このことは後に述べるところの、ドイツ帝国時代の国権至上主義と異り、民主主義下にある現在の我が法制下に於ては、誠に当然の事柄と考える。
この見地に立つとき法規の命ずるままに、正当に判断をすれば当然に受け得た筈の金額の退職金を偶々一行政庁の失態で誤り判定せられ、右金額以下を支給せられた場合に、一般の瑕疵ある行政行為に関する通説の方針に従い、例えば「その瑕疵が明白でない」というが如き理由を附して、先きの誤判の行政行為を有効なりとしなければならない理由が、何処にあるであろうか。上告人の退職金計算についての過去の誤判を確認して、それを「無効」と解し、不足額を追給するとして、社会のなにびとが不測の損害を被り、如何なる社会不安が発生するであろうか。絶対に不測の損害を被る第三者もなく、社会不安を惹起することもあり得ない筈である。むしろ正しい者が救済せられたことによつて、社会一般人は安堵と明朗さを感ずる筈である。
伝え聞くところによると、「この一件を無効と確認し、不足額を追給すれば今まで類似の件で泣寝入りをしていた多くの元公務員から、続々と類似の請求が提起される危険があるから、本作の無効を承認することは出来ない」と漏らした関係公務員があるとのことである。万一これが事実とすれば、由々しい問題である。永年公務員として公に奉仕して来た者の中に法規の規定する額に満たない退職金を支給されて、即ち関係行政庁の失態により、不公平な支給を受けて、泣寝入りをさせられている無辜の国民が他にも沢山存在することを承知しつつ、これを民主憲法下の平等の取扱をすることを考えないばかりか、それを妨害するために、本件について、瑕疵の明白性不存在が宣告されることを期待しているやにまで、感ぜられることは遺憾の極みである。本件の行為を無効と確認し、退職手当不足金の追給をするとすれば、確かに前記関係公務員の言の如く、国庫の負担は増加する。従つて最も影響を受けるのは国庫であろう。然し、それは国庫が当然に支払わねばならなかつた分を、一行政庁の誤判によつて支払わないでいたに過ぎず、それは一種の不当利得の形をなすものである。若し上告人のほかにも類似の被害者が相当数あるならば、国又は地方公共団体は、一日も速やかにその数多の不当利得を返遷すべきである。国及び地方公共団体は営利会社、個人企業と異なり、法に従つて支出をなし、これに必要な収入を策する性格のものであるから、永年勤続の功労ある公務員には、公平に法に従つた正規の給与(退職手当を含む)を速かに支給すべきである。もしも、その支給を免かれるために過去の瑕疵ある行政行為の有効を主張するとすれば、それこそ著しく正義に反する態度というべきである。(ジユリスト行政判例百選一〇六頁三段目参照)要するに、退職手当については、 「行政行為の公定力」の理論はなじまないものと云うべきである。
前にも一言した通り、行政行為の公定力の思想は、ドイツ帝国時代に完成した行政法理論にその源を有し(ジユリスト行政判例百選七頁、田中二郎著行政法における判例の意義参照)、君権神授説と同種の思想である。国権絶対、国権至上を前提とするがために、官権偏重の傾向著しく、「お上の行為は神聖絶対である。人民は黙つて追随すればよい」という考え方が根本に潜んでいることは、識者の一致する見解であろう。かような考え方と現在わが国が拠つて立つところの、民主々義新憲法とは著しくその基調な異にするものであるから、現在においてこの公定力を是認し、主張せんとする場合は、慎重に、現代的の修正、制約を附する必要があるであろう。しかしてその修正、制約としては次の点が考えられる。
(一) 国家の行為は、国民の行為よりも高位の価値を有すると云うが如き考え方を一掃して、均しく条理の下に、国民の行為と全く同一水準に評価さるべきこと。
(二) 行政行為の公定力を認めないと、公共の福祉を犠牲にするか、譲歩して考えるとしても、多数の善意の第三者に不測の損害を与える虞れのある場合にのみ、公定力の理論を適用すべきこと、そして本件においては、公共の福祉の犠牲、善意の第三者の損害、いずれも全く関係がない筈である。
第二点控訴裁判は、憲法違反である。
既に第一点(その二)において触れた通り、現行憲法が民主々義に立脚することは、何人も異論のないことであろうから、控訴判決は、憲法全体の精神に違反するやの疑をも感ずるものであるが、特に明かに次の両条に違反するものと認める。
(その一)憲法第一四条第一項違反
訴状に記す通り、上告人は、大正十一年五月から昭和三十七年三月まで、引続いて三十九年余り、官吏、国家公務員として在職したから、退職手当法制の定めに従う正規の計算によれば退職手当として、当然に金六百五拾七万六千円の支給を受ける権利があつた筈である。現に類似の条件下(大正十三年二月から昭和三十七年三月まで引続き官吏、国家公務員として在職)にある石井勗〔前記第一点(その一)(一)参照〕は、正規の計算により退職金として、上告人と同時に同じく衆議院から六百五拾七万六千円を受領した。然るに上告人はその時退職手当として金参百拾八万参千八百八拾円を支給されたに過ぎない。同人は衆議院在職中、再三ならず、会計検査院に、また衆議院に対して、昭和二十三年十一月二十七日上告人転任に際して会計検査院から退職手当名義で金拾五万九千六百円を支給された行為は、強行法規違反として無効であるから、その無効の確認行為として、取消をせられたい旨を申し入れたにも拘らず、言を左右にしてこれを実行せず、三十七年三月の定年退職に際して、衆議院は前記の如き、法定額の二分の一以下の金員を支給して顧みない態度をとつた。国のこの行為は正に法の下における不平等の取扱であり、経済的関係の差別待遇として憲法第一四条第一項に違反するものと認める。
(その二)憲法第二九条第一項違反
右(その一)に記す通り、上告人は退職手当法規の定めに従つて三十七年三月三十一日衆議院を退職した当時に国から金六百五拾七万六千円の支給を受けるべき債権を有していた筈である。それを上告人より度々の催告にも拘らず、会計検査院は過去の自らの行為の取消をせず、ために同人は、衆議院より金参百拾八万参千八百八拾円の支払を受けたのみである。上告人は差引金参百参拾九万弐千百弐拾円と、これに対する年五分の割合による遅延利息との合計額に相当する財産権を、国の責任により、故なく侵害せられた次第である。即ち国の右行為は、憲法第二十九条第一項にも違反するものと認める。
以上